Friday, 15 April 2011

英国の主要銀行の歴史

HSBC (本社Canary Wharf)

香港上海銀行(HSBC)は、1865年にスコットランド人トーマス・サザーランドによって、アヘン戦争後にイギリスの植民地の香港で創設されました。一ヵ月後にはイギリスの共同祖界が置かれていた上海で営業を開始しました。

香港に本社を置き、主に在華外国企業(サッスーン洋行、ジャーディン・マセソン、デント商会などのアヘン貿易商社)のインドなどの他の大英帝国の植民地との間における貿易金融を扱ったほか、通貨の発行も行っていました。現在も香港ドルの発券銀行の1つです。

その後波乱の時代を経て事業を拡大しました。商業銀行ですが、1997年の香港返還以前は、
香港において中央銀行が行うべき役割も果たしてきました。

1980年代に大掛かりな買収戦略による拡大を開始してアメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどの有力銀行を次々に傘下に収め、同時期に中南米、中東、東南アジア、南アジア、トルコなど高成長が見込まれる地域の有力現地銀行多数を傘下におさめて、ほぼ全世界を活動地域としてカバーする世界で唯一の銀行になりました。

1992年にイギリス最大のミッドランド銀行の買収にあたり、登記上の本部をイギリス本国に移転することをイギリス政府から要請されました。

そうした事情から、前年の1991年ロンドンにHSBC Holdings plcを設立し、登記上の本拠地をロンドンに移動し、イギリス法人となりました。

HSBCと日本との関係

1832年、スコットランド出身のイギリス東インド会社元船医で貿易商人のウイリアム・ジャーディンとジェームズ・マセソンにより、中国の広州にジャーディン・マセソンという貿易商社が設立されました。設立当初の主な業務は、アヘンの密輸とのイギリスへの輸出でした。

香港上海銀行(HSBC)は、ジャーディン・マセソンなどが香港で稼いだ資金をイギリス本国に送金するために設立された銀行でした。

アヘンの輸入を規制しようとする朝政府とイギリスの間にアヘン戦争(1840年~42年)が起こった際に、アヘン商人であるジャーディン・マセソン商会のロビー活動により、イギリス本国の国会は軍の派遣を決定したほどです。

1859年、上海支店にいたイギリス人ウィリアム・ケズィック(ウィリアム・ジャーディンの甥)が横浜にジャーディン・マセソン商会」を設立します。日本に進出した外資第1号としても知られています。横浜初の外国商館である社屋は、英一番館と呼ばれました。

1859年、トーマス・グラバーがジャーディン・マセソン商会の長崎代理店としてグラバー商会を設立しました。グラバーが五大友厚(薩摩)、坂本龍馬(海援隊)、岩崎弥太郎(三菱財閥)などを支援したことは有名ですね。

1863年、ウィリアム・ケズウィックは井上聞多、遠藤謹助、山尾康三、野村弥吉、伊藤博文の長州五傑のイギリス留学を支援します。彼らの英国滞在は、ジャーディン・マセソン商会のロンドン社長ヒュー・マセソンが世話しました。


Lloyds TSB (本社City of London)

ロイズ銀行は1765年バーミンガムの鉄鋼商人サムソン・ロイドとボタン業者ジョン・テイラーによって創立されました。

1884年、シティに1677年から開業していたゴールドスミス老舗のStokesと合併し、それまでロイズが使用していた「蜂の巣」のロゴマークを、Stockesが使用していた「黒い馬」に変更します。その後、合併を繰り返すことにより、ロイズは英国4大銀行の1つとなりました。

TSB(Trustee Savings Bank)は、1985年に議会法令により、グレートブリテンに残る全ての貯蓄銀行を、TSB銀行の下に統合して設立されました。

1995年にロイズ銀行とTSB は合併しました。


Barclays (本社Canary Wharf)

1690年に ジョン・フリーム とトーマス・グールド というランバード・ストリートのゴールド・スミスにより設立。1736年、フリームの娘婿で共同経営者のジェームズ・バークレイの時代からバークレイズという名称を使うようになりました。

1896年、東部イングランドやロンドンで活動していた20の個人銀行を統合して、バークレイ・アンド・カンパニーという株式銀行が発足します。その後も買収を通じて全国規模の支店網を確立していきました。

1925年、西インド諸 島で活躍するColonial Bank,スエズ運河地域のAnglo Egyptian Bank、アフリカ地域のNational Bank of South Africaの買収によって、グローバルな営業坦懐を開始しました。(英国の国策に則った海外政策)。

1959年にイギリスの銀行としては初めてコンピューター使用の帳簿管理を導入し、1966年にはイギリスで最初のクレジット・カードであるバークレイカードを発行しました。バークレイカードは現在、ヨーロッパで最大のクレジット・カードとなっています。

2008年サブプライムローン問題で破綻したリーマンブラザーズの北米における投資銀行を買収しました。


Standard Chartered (本社City of London)

スタンダード銀行は1862年、スコットランド人ジョン・パターソンらにより設立されました。
1863年、南アフリカのポートエリザベスに店舗を開設。
1890年代から1910年代にかけて、アフリカ全土に支店網を広げました。
1950年代半ばには、アフリカで約600拠点を数えるまでになり、
1965年、英領西アフリカ銀行との合併により支店網を広げました。

チャータード銀行は1853年、ヴィクトリア女王からのジェームズ・ウィルソンへの特許状交付に基づき設立されました。
1858年、最初の支店をカルカッタとボンベイに開設したのに引き続き上海にも進出します。
1859年には香港に支店、シンガポールに出張所を開設。
1862年以降は、香港での紙幣発行銀行となります。
1880年横浜に出張所を開設。
1957年、イースタン銀行を買収し、中近東へも支店網を広げました。

1969年、両行の合併によりスタンダード・チャータード銀行が誕しました。

2008年にはアメリカン・エクスプレス銀行(クレジットカードのアメリカンエクスプレスの銀行部門)を買収、統合しました。

ロンドンを本拠地とするイギリスの企業でありながら、イギリスでの顧客は少なく、アジア太平洋地域、ヨーロッパ地域、アフリカ地域での業務がそれぞれ、65%、25%、10%を占めます。香港ドル発券銀行の一つです。

香港紙幣について
香港金融管理局の監督の下、HSBC, スタンダード・チャータード銀行、中国銀行の3行によって紙幣が発行されている。発行元の銀行によって図柄はまったく異なります。


Bank of Scotland (本社Edinburgh)

イングランド銀行を創設したスコットランド人ウィリアム・パターソンにより、1695年スコットランド銀行も設立され、1696年より営業を開始しました。スコットランド紙幣の発行権を持っています。

2001年、ハリファックスと合併してHBOSが誕生しました。
2009年、HBOSはロイズTSBによって買収され、ロイズ・グループの一部となりました。


RBS (本社Edinburgh)

1727年、ジョージ1世が、ジャコバイト運動を支援するBank of Scotlandに対抗するために設立されました。スコットランドの銀行券を発行し続けています。

個人向け業務や中小企業向け業務の拡充により高い収益率を誇り、2000年にはナショナル・ウエストミンスター銀行を敵対的買収により子会社化し、イギリスで最大の商業銀行となりました。

2008年、英国政府より経済危機対策として、英国政府より200億ポンドの公的資金注入を受けたにも関わらず、銀行業界で過去最大規模のボーナスを社員に支給したことで批判を集めています。

RBSと日本との関係

アレキサンダー・シャンドはスコットランドで教育を受けた銀行家で、1860~70年代に日本の大蔵省に招かれて日本に滞在し、銀行制度に関する講義を行ったり、日本の銀行家のために教科書を作成しました。

1877年にロンドンに戻り、アライアンス銀行、後のパーズ銀行、現在のRBSに入行します。1899年~1910年の間に、パーズ銀行は大日本帝国政府の外債8000万ポンドを調達します。。1905年、高橋是清は日露戦争の武器を買うための資金調達業務のため、数カ月間ロンドンに滞在しましたが、この任務の協力者がシャンドでした。後に高橋是清は大蔵大臣の職を務め、最終的に首相となりました。

1923 年に関東大震災が起こると、ウエストミンスター銀行は、日本政府のため、復興債による調達において国際協力を主導しました。

Clydesdale Bank (本社Glasgow)

1838年、綿工業、造船業、西インド諸島との貿易で栄えるクライド川沿いのグラスゴーに設立された商業銀行です。スコットランド紙幣を発行している銀行の一つです。

1919年、ミッドランド銀行によって買収される。
1970年、世界で始めてATMを紹介した銀行。
1987年、ナショナル・オーストラリア銀行グループに買収されました。

スコットランド紙幣について

スコットランドの紙幣につい

世界的に見ても中央銀行以外の銀行で銀行券を発行しているのは数行だけ
スコットランドには紙幣発行権のある銀行が、スコットランド銀行、
王立スコットランド銀行、クライズデール銀行と3つもある。
3行とも市民や企業の口座を預かる市中銀行である。

ただし、イングランド銀行に英国のマネーサプライ・コントロールの責任があるので、この3銀行は通貨発行額と、同額の預け入れ義務が課せられている。自由気ままに発券できるわけではない。

一番歴史の長いスコットランド銀行。
この銀行のシンボルマークは日本の米屋の印に酷似している。
紙幣のデザインは、スコットランドを支える基幹産業がテーマらしい。
この銀行の紙幣は
、イングランド銀行券なら女王の顔があるべきところに
ウォルター・スコットの顔がある。

RBSはスコットランド最大規模を誇り、この銀行のお札が一番よく出回っている
お札の表は全部同じデザインで、初代総裁の顔が入っている
裏はスコットランドの名城シリーズ。
1ポンドがエディンバラ城、5ポンドがカリーン城、10ポンドがグラミス城。

クライズデール銀行のお札のテーマはスコットランドを代表する人物
1ポンド札には、ロバート・ブルース(ロバート1世)。
5ポンド札はスコットランドの誇る国民詩人、ロバート・バーンズ
10ポンド札は探検家のデイヴィッド・リヴィングストン。
20ポンド札は英雄ブルース1世。

日本の主要銀行の歴史


三菱東京UFJ銀行 (三菱銀行+東京銀行+三和銀行+東海銀行)

三菱銀行の歴史


1880年  郵便汽船三菱会社(現在の日本郵船)から三菱為換店が分離独立。
1919年  三菱銀行設立。
1948年 「三菱」商号使用禁止を命じられ千代田銀行に改称。
1953年  千代田銀行、再び商号を三菱銀行に改称。
1967年 カード会社ダイヤモンドクレジット(現三菱UFJニコス)を設立。
1979年  大阪市の北畠支店で猟銃強盗監禁事件。
1996年  三菱銀行と東京銀行が合併し、行名を東京三菱銀行に変更。

東京銀行(=横浜正金銀行)の歴史

日米修好通商条約締結により、1859年横浜港が開港。
瞬く間に国際貿易都市として急成長を遂げていった。
横浜に集う商人により、安定した正貨を供給する貿易金融機関の必要性が叫ばれ、
1880年 横浜正金銀行は営業を開始した。
日本の海外貿易・外国為替に大きな影響力を持っていたHSBCを模範とした。
貿易金融・外国為替に特化した銀行であり、明治維新後急速に成長し、やがて
列強の仲間に加わる日本を国際金融面で支える外国為替銀行へと発展していくが
、関東大震災と昭和恐慌で大きな打撃を受け、第二次世界大戦においては
日本の軍需に必要な外国通貨収集のための機関と看做されたために
敗戦後の1946年にGHQの指令によって解体・清算され、
外国為替銀行としての役割は新たに設立された東京銀行に引き継がれる事になった。
1970年代
までは、主に日系企業の海外進出の支援に強みを発揮していたが、
1980年代に入ると中南米向けの不良債権がその体力を急速に衰えさせた。
1996年 三菱銀行と合併して東京三菱銀行になった。

三和銀行の歴史

鴻池銀行は、
1656年、鴻池善右衛門が大阪で両替店を開業。
1877年、鴻池家により鴻池銀行は設立された。

山口銀行は、
1863年開業の布屋両替店が源である山口家によって、
1879年、第百四十八国立銀行を設立し、
1898年、これを山口銀行が継承した。

三十四銀行は、
1878年、大阪の繊維関係の商人である7人が設立した。
堅実経営に徹しながらも中小工業に対する長期金融を開始するなどの特色があった。

1933年 三十四銀行、山口銀行、鴻池銀行が合併し三和銀行となる。

2002年 東海銀行と合併し、UFJ銀行になる。

東海銀行の歴史

愛知銀行は、1896年に尾張徳川家に関係の深い豪商・素封家の発起により設立。

名古屋銀行は、1882年に名古屋の有力実業家10人の発起により設立された。

伊藤銀行は、1881年に名古屋の富豪伊藤家の金融事業に端を発し、名古屋最初の私立銀行本店として設立された。

1941年 愛知銀行、名古屋銀行、伊藤銀行が合併し、東海銀行となる。

2002年 三和銀行と東海銀行が合併し、UFJ銀行となる。

2006年 東京三菱銀行とUFJ銀行が合併し、三菱東京UFJ銀行となる。

みずほ銀行 (第一銀行+日本勧業銀行+富士銀行+日本興業銀行)

第一銀行の歴史

1873年 日本発の商業銀行として、第一国立銀行開業。
1875年 総監役渋沢栄一が頭取に就任。
1884年 李氏朝鮮国政府と契約。釜山、仁川、元山での海関税を取り扱う。
1896年 第一銀行と改称。
1902年 韓国で第一銀行券を発行。韓国政府公認紙幣として流通する。
1909年 韓国銀行へ韓国中央銀行業務を譲渡。
1948年 第一銀行設立。
1971年 日本勧業銀行と合併し、第一勧業銀行となる。

日本勧業銀行の歴史

1897年、最初の政策金融機関として設立された特殊銀行
各都道府県に設立された農工銀行の中央銀行として、農工銀行に対する資金供給、
大規模な不動産及び動産担保融資、公債引き受けを主な業務とした。
北海道拓殖銀行を除く全農工銀行を吸収合併することによ
全都道府県に支店を置く銀行となる。
1950年特殊銀行としての業務は廃止され普通銀行になる。
1971年 第一銀行と合併し、第一勧業銀行となる。

富士銀行の歴史

1864年 安田善次郎、江戸日本橋に露天の乾物商兼両替商・安田屋を開業。
1923年 11行が合併し、安田銀行と商号変更。
1948年 安田銀行が富士銀行と商号変更。

日本興業銀行の歴史

1900年 国内の重工業への資金を調達するための銀行を設立
明治維新後の重工業の発展を支えた。
1952年 長期信用銀行へ転換。
第二次世界大戦後の復興と高度経済成長を金融面で支えた。

2002年 第一勧業銀行・富士銀行・日本興業銀行の分割・合併によ
りみずほ銀行が発足した。

三井住友銀行 (三井銀行+太陽神戸銀行=さくら銀行)+住友銀行

三井銀行の歴史

1683年、三井八郎右衛門高利が江戸に開いた越後屋三井両替店を起源とする。
両替店はもともと隣接する呉服店(現在の三越)の補助機関であったものが、
やがて本両替に昇格し幕府の金銀御用達としての地位を得るまでに発展した。
明治新政府成立後も為替方となる。

1871年 為換座三井組を開設。日本で最初の円単位紙幣を発行したが、
そのまま第一国立銀行となり、事実上三井の手から取り上げられた。

1876年 三井銀行が開業し、日本最初の民間銀行となった。
その後明治後期から大正期にかけて三井財閥の中枢として機能し、
多くの企業を支援・育成した。

1943年、戦時統合という時流に乗って、第一銀行と合併。
日本最大の都市銀行・帝国銀行
が誕生した。

1954年、帝国銀行は三井銀行に改称。

1990年、太陽神戸銀行]と対等合併してさくら銀行となる。

太陽銀行の歴史

1940年 東京市内の無尽会社5社が合併し、大日本無尽が成立。
1968年 普通銀行(都市銀行)に転換し、太陽銀行に改称

神戸銀行の歴史

1936年 兵庫県内に本店をもっていた銀行のうち、
資本金、預金高が大きく堅実な業績を示していた7行が新設合併し、
神戸銀行として設立された。

1973年 太陽銀行と合併し、太陽神戸銀行になる。

住友銀行の歴史

1590年、蘇我 理右衛門は、京都に銅製錬・銅細工の泉屋を開業し店主となると、
粗銅から銀を分離する南蛮吹きという精錬技術を完成させた。
南蛮吹きの技術は住友家の養子となった長男・住友友以によって大阪で活用され、
銅貿易を中心とした貿易商泉屋を大阪一の商家と呼ばれるまでに繁栄させ、
後に続く住友家の地盤を築いた。

1895年、広島県尾道市で行われた住友家の重役会議で本格的な銀行業への進出が決定し、住友吉左衛門の個人経営による住友銀行(本店は大阪)が開業した。

2001年 さくら銀行と合併し、三井住友銀行となる。

りそな銀行 (協和銀行+埼玉銀行=あさひ銀行)+大和銀行

協和銀行の歴史

1945年、戦時体制の下、貯蓄増強といった国策を遂行するために
大手貯蓄銀行を強制的に統合し日本貯蓄銀行を設立された。

1948年、日本貯蓄銀行も普通銀行に転換して協和銀行と改称。

1991年 埼玉銀行と合併して協和埼玉銀行(翌年からあさひ銀行)となった。

埼玉銀行の歴史

1943年 戦時統制の一環で国立八十五銀行と、渋沢栄一が設立に深く関与した民営の武州銀行、忍商工銀行、飯能銀行がが大合併し、埼玉銀行となる。

1969年 地方銀行から都市銀行へ転換。
店舗は当行全体の3分の2は埼玉県内にあるが、都下にも多数の店舗を持ち
戦後の多摩地区と埼玉県の発展を受けて規模が拡大することになる。

1991年協和銀行と合併し協和埼玉銀行(翌年からあさひ銀行)となる。

大和銀行の歴史

1918年、両替店から証券業務に参入し、日露戦争、第一次世界大戦の好景気におい
兼業の株式仲買業で財を成した野村商店を営業していた野村徳七によって
大阪野村銀行が創立された。
1925年、証券部門が急成長により、証券部を野村證券として分離する。
1927年、店舗網の全国的な拡大に対応して、大阪野村銀行は野村銀行と名を改める。
1946年、戦後の財閥解体で、野村財閥も解散。
野村銀行自体も行名変更を余儀なくされ、1948年に大和銀行として再発足した。
「大和」の由来は、聖徳太子の和を貴ぶの精神から来ていると説明されているが、
野村財閥の商標が「山にト」であり、大和の大は大阪も意味している。
1995年 大和銀行ニューヨーク支店巨額損失事件で、国際業務から撤退

2003年あさひ銀行と合併、りそな銀行となる。

江戸時代の両替について

両替屋は小判および丁銀の金銀両替および
為替、預金、貸付、手形の発行により信用取引を仲介する業務を行う本両替と、
専ら銭貨の売買を行う脇両替に分化していった。
本両替を利用したのは大名、有力商人など大口取引を行う者に限られ
町人などが一般に利用したのは脇両替すなわち銭屋であった。
両替屋は大坂に本店を置くことが多く本両替が発達し、
江戸は支店が多く脇両替が多く見られ、
京都はその中間的な性格を持っていたといわれる。
地方の都市にも開業されるようになり、
大坂の両替屋を中心に互いに連絡を取り合い発達に貢献した。
両替には酒屋および質屋などを兼業するものが多かった。

世界の銀行ランキング

英フィナンシャルタイムズが発行する銀行業界誌「ザ・バンカー」の
2009年度版世界の銀行トップ1000の中から上位1~20位

1 JPモルガン・チェース[JP Morgan Chase & Co]:ニューヨーク
2 バンク・オブ・アメリカ[Bank of America Corp]:シャーロット
3 Citiグループ[Citigroup]:ニューヨーク
4 ロイヤルバンク・オブ・スコットランド[Royal Bank of Scotland]:エディンバラ
5 HSBC(香港上海銀行)ホールディングス[HSBC Holdings]:ロンドン
6 ウェルズファーゴ[Wells Fargo & Co]:サンフランシスコ
7 三菱UFJ フィナンシャル グループ[Mitsubishi UFJ Financial Group]:東京
8 中国工商銀行[ICBC]:北京
9 クレディ・アグリコル グループ[Credit Agricole Group]:パリ
10 サンタンデール・ セントラル・ヒスパノ[Santander Central Hispano]スペイン
11 バンク・オブ・チャイナ(中国銀行)[Bank of China]:北京
12 中国建設銀行[China Construction Bank Corporation]:北京
13 ゴールドマン・サックス[Goldman Sachs]:ニューヨーク
14 BNP パリバ[BNP Paribas]:パリ
15 バークレイズ[Barclays Bank]:ロンドン
16 みずほフィナンシャルグループ[Mizuho Financial Group]:東京
17 モルガン・スタンレー[Morgan Stanley]:ニューヨーク
18 ユニクレジット[UniCredit]:イタリア・ミラン
19 三井住友フィナンシャルグループ[Sumitomo Mitsui Financial Group]:東京
20 ING[ING Bank]:オランダ・アムステルダム

金相場

世界の金地金の価格はロンドン金市場で決まるが、
この市場は株式のように取引が集中する公設取引所があるのではなく、
私的で非公開の店頭市場の集合体になっている。
ロンドン貴金属市場協会(LBMA,London Bullion Market Association)という、
約60社で構成する英国の金取引の業界団体の主要会員9社が、
1日に2回、金と銀の取引価格を持ち寄って、その日の金銀の平均価格を算出し、
これが世界的な金相場となる。
LBMAの値決めにたずさわる9社は、米英が2社ずつ、
独仏日カナダ・スイスが1社ずつで、G7と似た構成国になっている。
日本は、三井物産の貴金属取引子会社が値決めに参加し、
数社の商社が一般会員になっている。

マーチャントバンク


預金、証券や手形の引き受け・発行、投資管理、リース、企業の合併・買収の仲介や、
海外の政府、政府系機関、大企業との取引をアレンジする業務を行う金融機関のこと。
マーチャント・バンクはそのほとんどが17世紀欧州大陸で活躍した商家の末裔である。
19世紀初頭の英国では国際銀行業務のノウハウがなく、必要とされる海外情報、外国の
風習・商慣習、外国語等の知識や理解力を持ち合わせている人は無に等しい状況だった。
大英帝国の勢力・商業圏の拡大に伴い、世界的銀行システムの構築が急務となっていく。

そのギャップを埋めたのが、やがて世界に冠たる正統派マーチャント・バンクを構築することになる世界各国からの移民たちであった。
ベアリング家はドイツのブレーメンから1717年に英国にエクセターにやってきて、1763年にロンドンに店を構えた。
ロスチャイルド家はフランクフルト
シュローダー家とウォーバーグ家はハンブルグ、
ブラント家はペテルスブルグ、
ブラウン家はアイルランドラザー家はアルサス、
モルガン・グレンフェルはアメリカ人によって1838年ロンドンに設立された。

彼等は銀行家になる前はいずれも商人たちで、さまざまな商品を取扱っていたが
やがてより収益性の高い金融業務へとシフトしていった。
その中には外国貿易に携る商人たちの為の為替(含む外国為替)業務も入っていた。
当然の事ながらこの様な業務では大胆さ、直感、判断力、知識などが強く求められる。
戦争、革命、出入港禁止令、政府の破綻、コミュニケーション遅延などの障害発生等で、
大きなリスクを負うこともあるが、うまくいけば莫大な収益を上げることができた。

マーチャント・バンクは英国の植民地政策を支援し帝国の金融システムを構築しながら、
その間世界的規模で情報システムを確立、エイジェント・ネットワークを構築した。
彼等は欧州大陸を荒廃させたナポレオン戦争の資金調達でも多くの国々や政府を支援し
かつ戦後はその復興資金の手当ても行って、莫大な収益を上げた。
その結果、英国は外国からの借り入れもなく金融的に見て最も安全な国として
世界的に益々注目されるようになった。その為、欧州大陸の資本家たちは
ロンドンの大きなマーチャント・バンクに資金を移動させたこともあり、
英国通貨ポンドは世界通貨としての地位を勝ち得ることになる。
戦後の復興資金を求め、フランス、プロシア、オーストリア、ロシア、ポルトガル、
スペインなどの欧州大陸諸国のさまざまな人々がシティー詣でを行う結果となった。
ここでマーチャント・バンクはその全ての要求に応じた訳ではない。
また中には失敗し損失を出した事例もあった。

マーチャント・バンクは国、都市の支援ばかりでなく鉄道建設や公益事業の資金調達、
運河やコミュニケーション施設の建設、軍全体の装備の資金調達まで行い、
こうした国々の国家経済に大きな影響を及ぼすキングメイカーとなり、
しばしば世界史を彩る事業支援のページを作り上げていった。

19世紀になると、シティーの国際感覚と人脈、情報ネットワークに支えられ、
豊かな国際ビジネスの経験を有する英国のマーチャント・バンクは情報を駆使して、
国内余剰資金を利益のあがる海外投資に振り向けたのである。

Baring Brothers & Co.
ベアリングは、最古の歴史を持つ19世紀最強のマーチャント・バンクであったが、
1890年になると、注力していた南米が大不況に陥り、危機存亡の時を迎えた。
この危機は、マーチャント・バンク団の結束した協力により回避され事なきを得た。
この背景にはベアリングの官・政・財の各界に張り巡らされた人脈が働いた。
彼らがアレンジした史上最大の不動産取引(ルイジアナをフランスからアメリカが購入)
記録は今も破られていない。
しかし同社は1995年にシンガポールで発覚したトレーダーによる巨額な損失を伴う
不正取引で破綻し、その後オランダの金融最大手INGに救済買収された。

Fleming (Robert)&Co.
甥が007のイアン・フレミング

Hambros Bank
デンマーク商人が設立し、スカンジナビア半島と英国間の貿易と、ダイヤモンド取引を得意とした銀行。

Hill Samuel & Co.
先代マーカス・サミュエルはもともとオリエントの貝殻細工を扱う貝殻貿易商社を開業。1875年にノーベル兄弟がバクー油田(カスピ海、アゼルバイジャン)開発に成功。
石油時代到来。1897年に別に石油会社を設立(シェル石油)。
サミュエル商会とゴールド商人のヒル商会が合併した銀行。
このオーストラリア支部が豪州マっ子ーリー銀行で、
民営化されたテームズ・ウォーターの株主である。

Kleinwort Benson
1830年のリバプール・マンチェスター間の機関車ロケット号を融資した世界初の鉄道王。

Lazard Brothers & Co.
もともとニューオリンズで開業し、ロンドンとフランスにオフィス開設。
金塊の輸入や穀物メジャーとの関係が深い銀行。


Morgan Granfell & Co.

タイタニック号を所有したホワイトスター汽船の株式オーナー。
モルガン・グレンフェル銀行はピーボディ商会から発祥した。
ロイヤル・エクスチェンジの裏にジョージ・ピーボディーの銅像が立っているが、
ピーボディ・トラストの資金提供者で英国では慈善家として有名

Rothschild (N.M.) & Sons

マーチャント・バンクの中で日本人にも有名なのがロスチャイルド。
現在でもその拠点はシティーのニュー・コートにあり、
五つの矢が下向き(フランスのロッチルドは対照的に上向き)に開き、
中央で束ねられたロスチャイルド家の家紋で表示されている。
ロスチャイルド家に5人の兄弟がいた。フランクフルト、ナポリ、
ウイーン、パリ、ロンドンで銀行家となり、それなりの成功を納めた。
ロンドンのネイサンは1836年に没したが、
ナポレオン戦争で巨万の富を僅か6年の間に築いたと言われる。
その後、後継者のライオネルがロスチャイルド家を更に発展拡大させた。
パリのロッチルド家も成功したが、ナポリは1861年、フランクフルトは1901年、
そしてウイーンは1937年、ヒットラーのオーストリア侵攻時に廃業となる。
現在もロンドン、パリのロスチャイルド家は姻戚関係にあることもあり、
緊密な関係を維持している。
ロスチャイルド家やその家業となったマーチャント・バンキングの内容は
外部からはほとんど知る術がない。パートナーシップであるため情報開示はなく、
ロスチャイルド家もその実態を外部に公開することはなかった。
ロンドンは戦前戦後を通じて金の市場として君臨した。
南アフリカで産出される莫大な量の金がロンドン経由で売却されるからである。
かつて、ロスチャイルドの二階にある「黄金の間」で世界の金相場が決められていた。
(2004年に廃止、現在はLBMAにより金相場が決められる)。

Samue Montagu & Co.
金塊商人から男爵になったサミュエル・モンタギューが経営する金塊銀行。

Schroder(J.H.)Wagg & Co.
1870年に日本政府が始めて発行した外債の主幹事を務め、
新橋~横浜間の鉄道資金の調達に貢献した。

Warburg (S.G.)& Co.
ハンブルグ商人が設立した名門銀行。初めて敵対買収を手掛けた。

英国の通貨について

ポンドはもともと重さの単位。
通貨名は、大昔、重量1ポンドの銀から240枚の1ペニー貨が作られたことに由来する。

ポンドを表す記号 £ は、1ポンドをリブラ(Libra)と言ったことに由来する。
リブラはローマの重さの単位で、ラテン語で秤のこと。てんびん座もリブラ。
₤ではなく、£が正しい。お札を良く見て!


紙幣について

イングランド銀行の発券する紙幣は、5ポンド、10ポンド、20ポンド、50ポンドの4種類。
表面に国家元首エリザベス女王が描かれており、
裏面に歴史上の人物が描かれている。

5ポンド:エリザベス・フライ、監獄改革を行った社会活動家、囚人に朗読をする光景
10ポンド:チャールズ・ダーウィン、自然科学者、ハチドリと花と拡大鏡、ビーグル号
20ポンド:アダム・スミス、経済学者
50ポンド:ジョン・フーブロン、イングランド銀行創始者、スレッドニードル街の彼の邸宅
高額紙幣として、流通しないが銀行内のみで使用される100万ポンド紙幣もある。

硬貨について

王立造幣局(Royal Mint)にて発行されている硬貨は、 1ペニー、2ペンス
5ペンス、10ペンス、20ペンス、50ペンス、1ポンド、2ポンドの 8種類である。

すべての硬貨の表面には国家元首エリザベス女王と称号
DEI.GRA.REG. FID.DEF または D.G.R F.D.と刻印されている。
ラテン語で「神の恩寵による女王、信仰の守護者、エリザベス二世」という意味。
信仰の守護者というタイトルは
もともとカソリックを擁護したヘンリー8世にロー マ法王が与えたもの。
イングランドは国教会を設立してカソリックと決別した後もこの称号 を使った。

2008年より2ポンド硬貨を除いた7種類を統合的にデザインしたものに
変更する旨が発表され、2008年夏から順次流通している。
英国の紋章を各硬貨ごとに分けて描き、
それを並べると一枚の画像となるようにデザインされている。
1ポンドコインにはその全体像が描かれる。

2007年までの発行分は下記の通り。
1ペニー: 城門落とし格子紋章
2ペンス: 皇太子の羽根徽章
5ペンス: アザミ冠紋章
10ペンス: 冠を頂くライオン
20ペンス:冠を頂くチューダー・ローズ
50ペンス:ブリタニアとライオン
1ポンド: 発行年ごとにデザインは変更され、連合王国の紋章と、
イングランドのバラ、スコットランドのアザミ、ウェールズのリーク、
北アイルランドの麻、イングランドの「三頭のライオン」、
スコットランドのライオン、ウェールズのドラゴン、北アイルランドのケルト十字。

2ポンド: まわりにはアイザック・ニュートンの言葉
「STANDING ON THE SHOULDERS OF GIANTS」と刻印されている。
直訳では「巨人の肩に立つ」だが、
「過去の著名な思想家の仕事や研究を理解し将来の研究を行う」という意味がある。